どーも!キャンプブロガーさくぽん(@sakumanx)です。
さくぽん:キャンプブロガー兼Life FREEKs代表。いいこともあれば良くないこともある。それが人生ですよね。
さてさて、【連載コラム:キャンプについて好き勝ってしゃべります】も第3回目です。今回も好き勝手思うがままに喋ろうと思います。第1回、2回は下記リンクから!
足るを知る、キャンプ。
何のためにキャンプをするのだろう。そこにはキャンプが持つ非日常感が関係しているように感じる。
キャンプは不便を楽しむレジャーである。普段はスイッチ一つで明るくなる電気を、わざわざガスやガソリンを使って手に入れるのだ。料理だってそう。ガスを使えばすぐにできるものをあえて炭に火をつけて調理するのである。
ここにキャンプの楽しさがある。
今の僕らはあまりにも便利になりすぎた日常を過ごしている。電気があることが当たり前。火がつくことが当たり前。そう思っているだろう。
だけど、日常では当たり前のことが当たり前ではない環境に身を置くと、それがいかにありがたいことだったのかに気づくことができるのだ。
この不便さ、非日常感を楽しめる人間は往々にしてキャンプに熱中していく。逆をいえば、その不便を単純に不便だなーと思う人は正直言ってキャンプにはあまり向いていないのかもしれない。
足るを知る。僕の大好きな言葉である。
足るを知ることができると日常の些細なことに喜びを感じることができる。キャンプではそれを思い出させてくれるのだ。
火の持つ暖かさ、明るさ。
何気なくする隣のキャンパーとの挨拶。
子供の無邪気な顔。
苦労して作ったご飯の美味しさ。
どれも昔は行っていた、感じていた人間としての当たり前の礼儀、感情が、今の世の中では薄らいでいるからこそ、キャンプという原始的な生活をするレジャーではそれを取り戻すことができるのであろう。
僕らはキャンプ旅をしている。時々、夜は焚き火の炎と月明かりだけで過ごす時がある。これだけでも十分にキャンプ生活できるだけの灯りがあるのだ。
キャンプをしていると火の暖かさに改めて関心することがあるが、火は暖かさだけでなく明るさも我々に提供してくれるのだ。
そう感じることは、都会に住んでいたらまずないだろう。
炎の灯りが一緒にキャンプしている人をわずかに照らす。なんとも言えない雰囲気である。これが玄人キャンパーが焚き火に熱中する理由なのかもしれない。
一方、空を見上げると月が煌々と輝いている。
月明かりだけを頼りにトイレにいく。最初は目が慣れずにビクビクしながら進んでいくのだが、トイレに着く頃には目が慣れて普段通りに歩けるようになっている。暗順応というのだろうか。
月明かりだけで歩くことなんて、普段の生活ではまずあり得ない。だけど、人間ってのは不思議な生き物で、その明かりしかない時は、それだけで生活できるように順応するのだ。
近年「スーパームーン」と呼ばれる月が話題を集めることが多い。あのような月を眺めるにはキャンプ場は絶好のポイントだと話題になるたびに思う。
キャンプ場では、月や星が主役になる瞬間がある。何度もいうようであるが、東京では見れない景色がキャンプ場にはあるのだ。
この写真は僕がキャンプ旅をしているなかで一番お気に入りの写真である。
この写真を見て、キャンプに行きたいと思ってくれた方もたくさんいた。焚き火をしながら星空を眺める。これがキャンプの醍醐味の一つなのだ。
星の輝き、炎の灯り、月の眩い光をもう一度体験できる世界へ、ぜひ来てみてはいかがだろうか。
キャンプ場はいつだって、キャンパーを受け入れる。
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